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小田原入生田キャンプサイトNo,3

3,300円~

(デイ利用は¥2,200~)

【小田原入生田キャンプサイトNo,3】

◆スタッフおすすめ度【★★★★★】

◆交通アクセス
国道1号線「地球博物館前」より1.3km/クルマ5分
箱根登山電車「入生田駅」より1.3km/徒歩26分


【小田原入生田キャンプサイトNo,3】は、小田原市入生田エリアの「長興山 紹太寺」近くのキャンプサイト。入生田と言えば雄眼なのが、長興山 紹太寺のしだれ桜。春の季節限定にはなりますが、堂々たる老木のしだれ桜は、まさに誰もが想像する山の中の桜。このキャンプサイトにアクセスするまでに、しだれ桜の横を通り過ぎることになります。「長興山 紹太寺」には、稲葉一族、春日局の墓や鉄牛和尚の寿塔もある観光名所です。さらに北条雅子がなき頼朝を偲んだ釈迦牟尼仏や北条雅子自身の位牌やまであるようで、歴史的にもかなり有名な場所です。ここまでで、最寄り駅から距離は1キロちょっとですから、一般の観光客も訪れるエリアです。
「長興山 紹太寺」にある「稲葉一族の墓」は小田原観光では有名なポイントです。稲葉一族とは、小田原城主であった稲葉氏の一族のことです。ここには「春日局」の墓があります。「春日局かすがのつぼね)」とは、朝廷から賜った称号で、名前は斎藤福さんですね。「春日局/斎藤福」は、どん底人生から、最終的に将軍の乳母という立場まで上り詰めた事でも知られる出世頭です。1579年(天正7年)に美濃斎藤氏の一族である「斎藤利三」(さいとうとしみつ)の娘として誕生し、もろもろ大変な状況下で、母親の実家であった稲葉家に引き取られて、「稲葉福」になったという経緯があります。その後、稲葉重通の後妻として迎えられ、豊臣秀吉の死後、1600年(慶長5年)に「関ヶ原の戦い」が勃発したことが引き金となり、稲葉正成は浪人へと転落。1603年(慶長8年)に徳川幕府が開かれ、その翌年に徳川家康の嫡孫「徳川家光」の乳母募集のお触れが出され、これに合格。半農生活から一転し、事実上徳川幕府の一員となった出世頭です。ご存じのように、徳川家光は後に徳川家3代将軍となる人物ですが、これには、福が徳川家康にこっそり会いに行き、徳川家光を次期将軍にと直訴したことがきっかけだったようです。両親からの愛情を感じたことが少なかった徳川家光はも、福を本当の母のように慕っていたそうです。福は、老中を超える権力を手にし、朝廷との交渉の前面に立つ等して徳川政権の安定化に寄与した人物です。幕府や大名の男たちと堂々と渡り合い、大奥の奥方や側室、女中たちのもめごとをあざやかにさばいていく様がTVドラマでも浮かび上がってきます。福の死去は、寛永20年(1643年)9月14日、享年64。そんな「春日局」の墓があるのが「稲葉一族の墓」です。長興山の奥まったところ、360段の石段の先に、稲葉氏一族の墓があります。歴史に触れることができます。一度訪ねてみる価値がありそうです。
キャンプ施設は、写真の小川からもう少し山を登った場所になります。もちろん、クルマでのアクセスも可能な場所にあり、舗装された道を上まで進んだ突き当りにあります。そこには、穏やかな雰囲気が広がっていて、小川がせせらぎ、里山のような環境があります。ここは水が流れているせいか、空気がさわやかで全くよどんだ感じがありません。とても長閑でほっとできる場所です。小川の隣には杉林が広がっています。その上は竹林になっています。竹林から流れてくる沢が広がっていて、沢の横にテントをセットしてアウトドアクッキングなどをすることができます。ゆっくり自分スタイルの野営が楽しめるキャンプサイトです。

◆キャンプスペースの詳細はコチラ…

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